【考察】赤信号から考える「本質」とは?
こんにちわ、大橋です。
突然ですが、みなさんは赤信号って渡りますか?
もちろん車が来ていない場合のみ、です。
僕は渡ります。よっぽどの事がない限り、むしろ渡るようにしています。
それを「ルール違反だ!」と怒る友達がいるんですが、
僕は「本質を知る」に基づいた行動だ、と考えています。
小さなテーマですが、「搾取されない」側になる第一歩になるのでは、と思って
今回はこれについて考えていきます。
1.ルールを疑う
- 「危ない」
- 「子供が真似する」
- 「小さい時にそう習ったから」
一般的に赤信号を渡ってはいけない理由ってこの辺りでしょうか。
そりゃあ安全は安全。そりゃそうだ。
じゃあまず信号って何なんでしょう?ちょっと調べてみました。
日本では『信号機設置の指針』に基づいて、「必要条件」の全てに該当し、「択一条件」のいずれかに該当する場合のみ原則として信号機を設置するものとしている[7]。
必要条件
一方通行の場合を除き、車道に十分な幅員があること
横断歩道を設ける場合は歩行者の滞留場所を確保できること
交差点における主道路の交通量が十分に多いこと
隣接する信号機と十分離れていること(信号灯器を誤認するおそれがなく、交通の円滑に支障が及ばない場合はこの限りではない)
信号柱を設置する場合は設置場所を確保できること引用:wikipedia
設置基準についてはこう書いてありました。
難しく書いてありますが、ここからわかるのは
“車が来るから、信号がある”、
そして
“車が来るから、赤信号”なわけです。
ちょっとハッタリくさいですが笑、
これが「本質」です。
2.本質を見抜かないと「損」をする
車が来てなければそれ「青信号」なんですよ。
「赤信号を渡りまくった、5分10分の時短が美徳だ」と言ってるワケではないですよ。
ただ、な~んにも通らない赤信号で突っ立ってる人たちを見てると、
「あぁ、日本人の典型だなぁ」とガッカリするんです。
10歩で渡れる横断歩道が危ないワケないじゃないですか。
ただなんとなく「指示待ち」をしてる感じ。
いわゆる社畜、ってこんな感じですね。
上長が言うならやむを得ない、
「自分で判断・考えればいいじゃん!」って事が全くできない。
一度、中国行った事ありますが、あっちは凄いですよ。
みんな信号は参考程度で、各々が行きたい方向へ向かってる。
独自のルールが出来たりしてて意外と事故は少ないんです。
社会も本来そうあるべきです。
個人がルールに則していく、のではなくて
個人に合わせてルールが制定される、ような。
順序ですよね。
それを言うと友達はこう言います。
「危ない」
「子供が真似する」
「そう習ったから」
当然リスクはありますね。
渡ったらダメ、って言われてるから轢かれても文句は言えないし、
子供に嫌われるかもしれないし。
早く目的地にたどり着きたいなら、
時間を無駄にしたくないなら、そのリスクは取るべきです。
その友達、実は10個ぐらい僕より年上の劇団員。
「なんでオレ達売れねえのかなぁ」と高円寺で安酒をあおっているそうです。
たとえ小さくても、リスクを取る練習をすべきです。
学んでいきましょう。